- 08/18 : リンク整理

87 年から 88 年にかけて、当時のイギリスのアンダーグラウンド・クラブ・シーンで盛り上がりつつあったシカゴ・ハウスに次いで発見されたのがデトロイト・テクノだった。
デトロイト・テクノは 80 年代の半ば、クラフトワークに代表される "テクノ" と P ファンクに代表される "ファンク" に影響されたホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソンら 3 人の黒人青年によってスタートしている。それは同時期のシカゴ・ハウス同様に、アメリカ本国よりもイギリスで高い評価を得て、DJ のあいだで広まっていく。
一方、この時期デトロイト内でも、上記の 3 人に続くかたちで、エディ・フラッシン・フォウクス、ブレイク・バクスター、マーク・キンシン、そして後にレーベル、レトロアクティヴ 〜 プラネット E を立ち上げるカール・クレイグらが登場する。
さらに 90 年代からは、デトロイト第 2 世代の代表格であるアンダーグラウンド・レジスタンスやプラス 8 で活動していたケニー・ラーキンが台頭。91 年からはベルリンの "テクノ" レーベル、トレーザーからも UR、エディ・フォウクス、ブレイク・バクスターらがリリースされるようになる。また、92 年のデトロイト再評価のなかからは、ヨーロッパのバズやピース・フロッグ、あるいは自らのレーベル、メタモリフィックで活動するダン・カーティン、そしてトランスマットを拠点にサイレント・フェイズで活動するステイシィー・パレンといった新しい才能を輩出している。とくに 93 年には、デトロイト・テクノはベルギーのバズ、R & S、アポロといったレーベルでの活躍が目立つようになった。
80 年代半ば以降に発見されたこれらの音楽は、当初、"ピュア・ハウス" とも呼ばれたが、彼ら本人たちは自らの音楽を "テクノ" と呼び、これによって "テクノ" という言葉が広まった。
テクノボン(野田 努/石野 卓球 著)より抜粋。